信楽焼窯元「蓮月」の系譜|江戸後期から続く器づくり
信楽焼窯元「蓮月」のはじまり
信楽焼の窯元「蓮月」の系譜を遡ると、その起点は江戸後期にまで及ぶ。初代とされるのは、谷井直方(1806–1891)である。近江国甲賀郡長野村、現在の滋賀県甲賀市信楽町の出身と伝えられ、家業である信楽焼に携わりながら、学問と表現の双方を重んじた人物であった。
谷井直方と信楽焼の技術革新
谷井直方は、単なる作陶者にとどまらず、信楽焼の技術史においても重要な役割を果たした人物である。国学者・佐々木弘綱に学び、和歌や文学に親しんだ直方は、自詠の和歌を添えた茶器を制作するなど、器に精神性を持ち込む工夫を重ねた。
信楽焼を象徴する釉薬の一つである「海鼠釉(なまこゆう)」は、1887年(明治20年)頃、谷井直方を中心とした名工たちによって開発に成功したとされている。この技術的成果は、今日に至るまで信楽焼の表情を特徴づける要素の一つとなっている。
代々受け継がれてきた谷井家の器づくり
谷井直方の後、谷井家の窯業は代々受け継がれていく。二代目・谷井利十郎、三代目・谷井宇之助、四代目・谷井利雄、五代目・谷井由靖へと系譜は連なり、信楽の地で器づくりを続けてきた。
時代とともに生活様式や器に求められる役割は変化してきたが、「土と向き合い、使い手の暮らしに寄り添う器をつくる」という姿勢は、世代を超えて受け継がれてきた。信楽焼が持つ素朴さや温かみは、こうした積み重ねの中から生まれている。
屋号「蓮月」に込められた思想
五代目の谷井由靖は、文学への造詣が深く、屋号「蓮月」を掲げた人物である。この名称は、幕末の歌人・尼僧として知られる大田垣蓮月に由来するとされ、谷井直方との思想的な接点があったとも伝えられている。
生前には、「大田垣蓮月」の著作でも知られる文芸評論家・杉本秀太郎氏との交流もあり、先代の店舗前で撮影された写真が今も残されている。器づくりと文学、そして信楽という土地が静かにつながっていたことを示す証左である。
現代に続く信楽焼窯元としての歩み
2001年に先代が他界した後も、蓮月の器づくりは途切れることなく続いてきた。信楽焼という伝統産業が大きな転換期を迎える中で、何を守り、何を変えていくのかを問い続けながら、窯元としての歩みを重ねている。
信楽焼と向き合い、伝えるという役割
「伝える」「支える」という立場から、信楽焼や蓮月の歴史をどのように次の世代へつないでいくのか。その問いに向き合いながら、このブログでは信楽焼の歴史や技術、窯元としての考え方、器と暮らしの関係について発信していきたいと考えている。
信楽という土地が育んだ器づくりの背景
信楽焼の特徴は、作り手個人の技量だけでなく、土地そのものの性質と深く結びついている点にある。信楽の土は耐火度が高く、焼成の過程で自然釉が生まれやすい。この偶然性を受け入れる風土が、信楽焼独特の表情を形づくってきた。蓮月の器づくりもまた、こうした土地の特性を前提とし、計算し尽くすのではなく、土と炎の働きを尊重する姿勢を大切にしてきた。
そのため、同じ器であっても一つとして同じ表情のものは存在しない。揺らぎや不均一さを欠点ではなく魅力として捉える感覚は、信楽焼が長く愛されてきた理由の一つである。蓮月の器にも、こうした信楽の風土が静かに息づいている。
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