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信楽焼の海鼠釉とは|谷井直方が関わった釉薬開発と窯元の技術史

信楽焼を象徴する「海鼠釉」とは

信楽焼を語るうえで欠かすことのできない要素の一つが「海鼠釉(なまこゆう)」である。深い青や黒を帯びた独特の色調と、流れるような釉調は、信楽焼の持つ土味と相まって、他産地にはない表情を生み出してきた。今日では信楽焼を代表する釉薬として知られているが、その成立には、明治期の窯元たちによる試行錯誤の歴史がある。

谷井直方と海鼠釉の開発

山田幸三氏の『伝統産地の経営学』によると、信楽焼の海鼠釉は、1887年(明治20年)頃、産地の名工の一人であった谷井直方(1806–1891)を中心として開発に成功したとされている。谷井直方は、江戸後期から明治にかけて信楽で作陶を行った人物であり、単なる作り手にとどまらず、技術的な改良にも積極的に取り組んでいた。

当時の信楽では、自然釉を活かした焼締めが主流であったが、釉薬表現への関心も徐々に高まっていた。海鼠釉は、そうした流れの中で生まれた成果の一つであり、土と炎、釉薬のバランスを見極める高度な窯焚き技術が求められた。谷井直方は、文学や和歌にも通じた人物であったが、その感性は器の表情づくりにも反映されていたと考えられる。

海鼠釉が信楽焼にもたらした変化

海鼠釉の登場は、信楽焼の表現の幅を大きく広げた。それまでの素朴な焼締めに加え、釉薬による色彩や質感が加わることで、茶器や花器といった用途の広がりが生まれた。特に茶の湯の世界においては、信楽焼の器が持つ土味と、海鼠釉の落ち着いた色合いが評価されるようになり、産地としての信楽の存在感を高める一因となった。

また、海鼠釉は一様な仕上がりにならない点も特徴である。窯の位置や炎の当たり方によって表情が変わるため、同じ意匠であっても一つひとつ異なる景色が生まれる。この「揺らぎ」こそが、信楽焼の魅力であり、量産品にはない価値を形づくっている。

現代に受け継がれる釉薬の思想

現在の信楽焼においても、海鼠釉は重要な技法の一つとして受け継がれている。ただし、当時の技法をそのまま再現するのではなく、現代の暮らしや使い手に合わせて調整が重ねられてきた。器の用途や形状が変化する中で、釉薬の表情もまた進化を続けている。

窯元にとって釉薬とは、単なる装飾ではなく、土と向き合う姿勢そのものでもある。谷井直方が取り組んだ海鼠釉の開発は、信楽焼が時代に応じて変化しながらも、本質を失わずに続いてきたことを示す象徴的な出来事と言えるだろう。

信楽焼の技術史を知るということ

信楽焼の器を手に取るとき、その背後にはこうした技術の積み重ねと、名もなき試行錯誤の歴史がある。海鼠釉は、単なる色や質感ではなく、信楽の窯元たちが土と炎に向き合ってきた時間の結晶である。この技術史を知ることは、器をより深く味わうことにもつながる。

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